空手道の先輩・本部朝基翁

東京で後援会

 

『琉球新報』昭和15年8月17日1)

本部朝基翁といへば、近世沖縄の生んだ空手道の先輩 齢既に古稀に近いが矍鑠(かくしゃく)として壮者を凌ぐばかり。沖縄拳法の普及向上に、阪神東京等にあって門下生を教育してゐるが、今回朝基翁の空手道研究ノ普及向上を促進するため後援会が東京で組織された。発起人は

 

 拳闘フェザー級東(洋)選(手)協会の堀口恒男2)、医学博士の林大(策)、実業家金子□助、同内藤健三、講道館五段中□謙蔵、□永□禮□郎 怪□□開□兼光、剣道空手教士小西康裕諸氏で

 

後援会事務所を東京市蒲田区御園一ノ二六ノニナグラ堂内に置き、事業としても本部流実戦護身術の研究や拳法の公開演武会講習会講習会等を開催するが、広く一般同好者の会員加入を歓迎してゐる。(写真は本部朝基翁)

 

 

□は判読不明文字。

原文は旧漢字・旧仮名遣い。適宜句読点を補った。

1) 一部の文献において、本部朝基の沖縄帰郷時期を昭和14年としているが、昭和15年にはまだ東京である。大道館の閉鎖時期は昭和16年秋で(丸川謙二証言)、その後大阪に滞在、昭和17年6月まで内地にいた(本部家所蔵資料より)。

2) ピストン堀口の本名。