本部按司

 

南海漁夫「釣庵漫記(八)」『琉球新報』明治41(1908)年7月27日

 

本部按司

本部按司朝救は、近代三十字歌1)の泰斗2)と呼ばれ、且琉歌の助詞たる(だいんす)3)を多く使ひ、此人のだいんすが、入った歌は、何れも又通常の歌よりも好かったと云ふので、晩年はダインス按司(ウメー)4)と綽名されし程の、有名なる歌仙なるが、此人達の琉歌を、詠せられし時代の話を聞くに誠に丁重なるものにて、中々今日の如く、酒飲がて□に唸ると云ふ様の事は決して無く、歌会と云ふと、其連中は、三四時間も会の時間より先に行くを常とし、身は小礼服、沖縄のカサビーを着け、各自供に詩経、古今集、唐詩選、白氏文集、伊勢、万葉の如き詩歌の書籍をば、大きな風呂敷に包みて擔(かつ)がせ、開吟の時間迄は潜心此等のをば、熟読玩味して、始めて歌に掛ったと云ふ。夫程(それほど)の熱心で遣りたれ歌なれば、成程其時代の歌には、神韻縹渺として、詩経や、古今を読む様な俤(おもかげ)が有るのである。只白氏文集は、沖縄の歌を平易無味に誘ひし媒とはならざりしか。試みに、ダインス入の歌、記憶に留まりし者二三を記して参考に資せん、


 面影のだいんす立ち置ち呉れば

  忘れよるひまもあゆらやすが


 空に吹過(ふきすぎ)る風だいんす庭の

  松に音信もある世やすが


 心あて吹(ふく)な面影にだいんす

  我きも夜まんぐい5)の松の嵐


一番仕舞の歌は、殊に優秀なる歌として祖慶の秀詠、


 いつも聞くものと由所(よそ)や思なしゆら

  逢ぬ夜の空の松のあらし


の歌と、古より取り取りの歌なのである。吾祖先は、琉歌をば如此丁重に作ったのである

 

祖慶親雲上


祖慶親雲上忠義は、本部按司等より四十年位前の人にて、予め平敷屋の異才あるを看破せしと、当時飛鳥も落す具志頭親方蔡温に、頭を屈せず、此が為に流刑などの災厄に罹り、猥自枉屈せず、畢生玉御殿の番人に安んじ、道を講せるを以て、有名なる人なるが、此人は、和書に深く通暁し、且琉歌を能くし、本部按司以前の歌仙たり、ダインス按司(ウメー)の豊麗なる辞彙と、忠義先生の幽峭なる思想とは、相俟って琉歌の双璧たらずんばあらず。……(以下略)……

1) 近代三十字歌:琉歌のこと。琉歌は八・八・八・六の三十字を基本とする。

2) 泰斗:「泰山北斗」の略。その道で最も権威のある人。大家。

3) だいんす:さえ、すら、だに、の意。

4) 按司は朝救の称号。ウメー(御前)は按司の尊称。

5) 夜(ゆ)まんぐい:夕暮れ