空前ノ大演劇会
2012年10月11日、本部直樹
下記の新聞記事と広告は、沖縄新公論社が、1周年記念として、中座(劇場)にて演劇会を開催する旨を告知したものである。その内容から、大正年間に雑誌『沖縄新公論』を出版していた沖縄新公論社が、同劇場にて中座(劇団)による古典舞踊、創作劇、そして新公論社社員による素人劇、最後に本部朝清(朝勇の誤記か)、本部朝基、喜屋武(朝徳と思われる)諸氏による唐手演武等の演目を披露したことがわかる。
中座は新垣松含を座長として1920(明治43)年1月に結成された劇団である。新垣のほかに、吉元其康、多嘉良朝成、伊良波尹吉、真境名安規、平良良仁、永村清蒲の7人が請元となり7人組と称していた。同年7月、明治座と沖縄座の中間に新劇場が落成した。歌劇「薬師堂」「奥山の牡丹」等の名作を創作し、当時の沖縄演劇界の中心的役割を果たした。1923(大正12)年頃、解散した。
本部御殿と沖縄新公論社や中座との関係は不明であるが、当時の沖縄芝居は没落士族が古典舞踊だけでは食えぬのでやむを得ず芝居も行っていた人達が中心で、こうした人達は御冠船踊りのアドバイスを得るために、本部御殿をよく訪れていた。それゆえ、こうした縁で出演が実現したかもしれない。
演劇会の一演目とはいえ、唐手大家による初期の公開演武の記録であり、空手史上意義のある出来事の一つと言えよう。
沖縄新公論社紀念会
『琉球新報』大正7(1918)年5月4日
沖縄新公論社紀念会
▽本日中座で
既報の通り、沖縄新公論社一週年紀念会は、本日と明日の二日に亘(わた)り、午后六時より中座にて開催さるべく、同座役者の躍(おどり)数番、狂言、喜劇等の外に、有名な本部、喜屋武氏の唐手に社員劇あり。番組は別項広告の通りなりと。
※句読点を追加。
広告 空前ノ大演劇会
『琉球新報』大正7(1918)年5月4日
広告
◎空前ノ大演劇会
沖縄新公論社一週記念大演劇会ハ、愈々明両日間午后六時ヨリ、中座ニ於テ開カレマス。成可(なるべ)ク多数ノ御来観ヲ希望シマス。出物ハ平常観ルコトノ出来ナイ奇抜ニシテ興味アルモノバカリデス。社員ノ出演ニ係ル、執心鐘入ハ下手ナガラモ素人芝居トシテ御楽ガアリマスシ、唐手大家タル本部朝清、本部朝基、喜屋武諸氏ノ唐手ハ、此機会デナケレバ、容易ニ観ル事ハ出来マセヌ。
◎番組
一、長者ノ大主
二、女カシ掛おどり
三、二才をどり
四、金細工をどり
五、喜劇(感違文言)永村優ノ十八番
六、をどり天川
七、をどり馬山川
八、喜劇(孝子ノ赤心)
九、をどり忍ビ
十、をどり万歳
十一、をどり交遊
十二、社員劇(執心鐘入)
十三、唐手(本部朝清、本部朝基)(喜屋武諸氏ノ出演)
五月四日
沖縄新公論社
※句読点は追加。