唐手術の競技化
『読売新聞』昭和7(1932)年12月4日
一撃人命を絶つ「唐手」は今まで試合不可能の状態にあったが、最近試合道具の完成を見たので、大衆的興味を呼び発達するものと思はれるが、東大研究會では三日最初の實演會を東大□□に行った、寫眞は東洋大師範小池氏の「板割」實演。
この当時、東京帝国大学唐手研究会副会長で実質的な師範の地位にあった陸奥瑞穂氏と東洋大学の学生で唐手部(師範本部朝基)に所属していた東恩納亀助氏とが中心となって、空手(唐手)の競技化を推進していた。
二人は翌年の昭和8年8月、ハワイを訪問して空手を指導している。そのときの現地の記事では、東大、慶応、早稲田、東洋、明治、中央、法政等の各大学唐手部との間に「唐手聯盟」を結成し、二人がリーダーであるとの記載があるが、詳細は詳らかではない。ちなみに、記事中の「東洋大師範小池氏」というのはキャプテンか何かの間違いであろう。この人物については分かっていないが、東恩納氏より後輩ではないかと推測する。
空手競技化の最初期の試みの一つとして、空手史的に価値のある記事である。