本部朝基先生・語録

1 すべては自然であり、変化である。
2 構えは心の中にあって、外にはない。
3

夫婦手は唐手の欠かすことの出来ない定めで、日常生活の中でも――例えば酒を注ぐとき、盃を持つとき箸を取るとき等々――拳法修業者はこの定めを守るようにし、夫婦手の定めを自ら身につけるようにしなければならない。

 

(註)夫婦手とは左右の手の連動で、古流唐手の原則の一つで本部拳法では如何なる攻め手、防ぎ手も、あたかも剣や棒を持つ両手の如く、左右呼応して連動するのである。

4 一見しただけで、その者の当身の力がどれほどのものか、見分けるようにならねばならない。
5 当身の力の乏しい相手の攻めはいちいち、受けなくともよい。一気に攻めるべきである。
6

唐手は先手である。

 

(註)実戦時のこと。

7

合戦は計略である。

 

(註)実戦の際は、虚突き、虚打ち等、いろいろと敵を誘い、隙をつくることが必要という意味。

8

本当の事は、やってみなくては判らない。

9 ナイハンチの型の足腰の在り方が、唐手の基本である。
10 ナイハンチの型を左右、いずれかに捻ったものが実戦の足立で、ナイハンチの型は左右、いずれかに捻って考えた場合、いちいちの動作に含まれるいろいろな意味が判ってくる。
11 受け手がすぐ攻め手に変化しなければならない。一方の手で受け、他方の手で攻めるというようなものは、真の武術ではない。さらに進めば、受けと攻めが同時に行われる技が本当の武術である。
12 真の唐手に対しては、連続突きなどは出来ない。それは真の唐手で受けられたなら、相手の次の手は出ないからである。

中田瑞彦『本部朝基先生・語録』より。