大道館について

日本武道唐手本部大道館道場、館長本部朝基とある。大道館道場館則(昭和初期)より。
日本武道唐手本部大道館道場、館長本部朝基とある。大道館道場館則(昭和初期)より。

大道館(だいどうかん)は本部朝基先生が戦前設立した空手(唐手)道場です。正式名称を「日本武道唐手本部(にほんぶどうからてほんぶ)大道館」と言います。

 

大道館の正確な設立年は不明ですが、朝基先生が弟子の高野玄十郎氏に宛てた年賀状(昭和6年1月1日消印、高野家所蔵)に大道館の表記が見えることから、少なくともその前年の昭和5年(1930年)には設立されていたようです。おそらく正式に命名された空手専門の道場としては、大道館は日本最古(のひとつ)の道場だと思われます。もちろん道場自体は、朝基先生は大正時代より大阪で開いていましたが、その当時より大道館と名乗っていたかは不明です。

 

名称の由来は、中国宋代の臨済宗の僧侶・無門慧開(むもんえかい、1183-1260)の公案集『無門関』にある「大道無門」の言葉より採られました。本部家(並びに旧琉球王家一門)は琉球王朝時代より臨済宗を信仰していたので、朝基先生はこの言葉を知っていたのだと思われます。意味は「真理(悟り)へ至る道には決まった道はない、幾通りもの道がある」というものですが、これは武道修行にも当てはまるものです。

大道館前にて。中央上原清吉、ほか本部家親族、昭和55年。
大道館前にて。中央上原清吉、ほか本部家親族、昭和55年。

大道館の所在地は、現在の文京区、当時の小石川区にあり、原町、餌差町、田町と何度か移転しました。門人数は60人から70人で7割が大学生だったそうです(丸川謙二氏談)。年中無休で朝9時から夜10時まで開いていました。場所が柔道の講道館に近かったこともあり、柔道家も多く学びに来ていました。また、徳三宝氏も朝基先生を慕ってよく遊びに来ていたそうです。

 

東京の大道館は、最終的に昭和16年(1941年)秋に閉鎖されました。その後、朝基先生の後を継いだ子息の本部朝正先生が大阪府貝塚市に「本部流大道館」として、昭和24年頃から道場を開いて再建しました。もっとも当初は建物としての道場はなく、地元の寺(尊光寺)の御堂を借りて教えていました。当時の門人数は大体20人くらいいて、多くは地元の20歳前後の青年たちだったそうです。その後、自宅を新築した際に道場も設けて現在に至っています。

 

また、昭和51年(1976年)より、朝正先生は本部御殿手の上原清吉先生より宗家を継承することになったので、現在、大道館では本部拳法とともに本部御殿手も教えています。上原先生も沖縄から来られたときには大道館で本部御殿手を指導されていました。

上原先生を迎えての大道館での懇親会。取手(投げ)の稽古ができるように畳敷きでした。昭和50年代。
上原先生を迎えての大道館での懇親会。取手(投げ)の稽古ができるように畳敷きでした。昭和50年代。