掛け手
掛け手(かけで、沖縄方言でカキディー)は、古流の「自由組手」のことです。掛け組手とも言います。互いに腕を掛け合った状態から自由に技を行使する古流の組手技法です。
琉球王国時代、首里手や泊手(おそらく古流那覇手でも)では、掛け手は盛んに行われていました。雨の日には、室内でも座ったままで掛け手の稽古を行うことがあったそうです。本部朝基先生は「目が利くようになる」として、掛け手の稽古を重視していました。今日でいう、動体視力や反射神経の向上につながるという意味だと思われます。掛け手は至近距離から行うので、素早い反応が要求されます。
掛け手は、稽古法としては、廃藩置県以降急速に衰退しました。衰退の原因は不明ですが、自由組手は危険だとして、沖縄県の学校体育で採用されなかったのが要因の一つかもしれません。もっとも掛け手は原則として寸止めで行うので、「自由組手」の言葉から連想するほど、危険というわけではありません。現在本部流では、寸止め以外にも防具を着けて当てて稽古することもあります。
さて、琉球王国時代から明治半ば頃まで、那覇の辻では「掛け試し(カキダミシ)」と呼ばれる実戦が行われていました。この掛け試しは、「掛け手で行う試し(試合)」という意味です。掛け試しは掛け手スタイルで行われていました。この語源も現在では一般に忘れ去られているようです。掛け試しは、しばしばノールールで行う「ストリートファイト」のように誤解されていますがそういうわけではありません。掛け試しは、基本的には一定のルール(掛け手)に則って、お互いの安全にも配慮しながら、立会人のもとで行いました。
ちなみに辻(つじ、沖縄方言でチージ)は那覇にある「町名」のことであり、江戸時代に本土で行われていた「辻斬り(武士が通行人を斬りつける行為)」の場合の、十字路(四つ辻)や人通りの多い通りを意味する「辻」のことではありません。以前より、掛け試しは「空手の辻斬りのことである」という誤解が本土でしばしば流布していますが、これは「辻」の意味の取り違えが原因の一つと思われます。もちろん、掛け試しでも突然勝負を挑まれる事例はありましたが、それは例外的なことで通常はお互いの承諾のもので行われました。
なお、近代那覇手(剛柔流)では、掛け手に似た「カキエ」という稽古法が継承されています。掛け手と同起源のものなのか、それとも明治以降に中国から新たに伝来した稽古法なのかは不明です。中国武術にも「推手」と呼ばれる同種の稽古法があります。
現在、本部流で継承している掛け手の詳細な技法については、本部会顧問を務められた丸川謙二先生(1913-2007)より、多くの教示を賜りました。丸川先生によると、松茂良興作先生との組手稽古の最中、朝基先生の一手が松茂良先生の顔に入って先生が歯血されたというエピソードは、掛け手の稽古での出来事だったそうです。