青年唐手家主催・座談会(一) 唐手熱が県内外に高潮している折りがら、「唐手はどこまでも空論を廃して、実際的でなければならぬ」と主張する那覇・首里の青年武術家達が集って、七日午後八時から辻上野楼で、唐手実戦家ナンバーワン本部朝基翁を囲んで、「翁の実戦と体験談」を聞く座談会が催された。 集まった人々は、那覇署の高嶺朝計 長嶺将真 上江洲安義 首里の島袋太郎 金武良章 垣花の宮里両吉 県学務課の柳澤七郎の各氏。 六十の坂を越した老人とも思えぬ頑丈な体躯を、どっしりと構えた本部翁を囲んで、同好の士が水入らずの唐手武術談だけに、話もはずんで果ては本部翁自ら立って、若い者を相手に型や実際の場合の実演に、壮者をしのぐばかり……。
以下は、質問に応じて語られた本部翁の興味津々たる「若き頃の回顧や実戦談」、昔の先生方の逸話等である。
ナイハンチの昔と今の差違
私達が十二、三の頃に教えられたのと、今とは拳の握り方が違っている。昔は平手だった。突き(拳)は、現在は前方に水流しといって下にさがっているが、昔はそんな手はなかった。真っすぐに、かえって上にあがる心持ちだ突くものだ。これは首里の松村の流れがほんとであると思っている。 佐久間先生のと松村先生のは同じ手(型)であった。昔の型は突いて拳を出して引く時、腋下に引くことを習っていたが、今のは突いて拳を出して引く時、脇腹に持ってくる。これは実戦には決して役立たない。引く時力を入れるのが本当だが、いまのように拳を突く時に力を入れるというのは、私には不思議でならぬ。突く時は八分でも、引く力は十分でありたい。
昔の唐手の先生方の話
私は首里の松村や佐久間という名高い人に教わったが、時々は泊の松茂良 国頭親雲上、糸洲、久茂地の山原国吉などから稽古したが、そのうちでも私が心から気持ちが合った人は泊の松茂良と佐久間で、稽古の時にはうんと殴られたりしたが、佐久間先生は賞めたり叱ったりしてよく教えてもらった。 あの人との入り組で、私は実力がついて来て、お互い友達は子供扱いにしたほどである。泊の松茂良は、私達より一寸くらいも高く、五尺四寸くらいで体重も百二十斤くらい、全く甕(かめ)のようだった。糸洲の手とは全然異っていた。佐久間もちょうど松茂良と似て、力のあることでは本当の武士だった。
今の武術家と昔の武術家
今の若武士たちは、昔われわれの先生方と比較すると、今の武士は武術家と言われるくらいに修業した者はいなかろう。まあ、稽古するくらいにしか考えられない。私に言わせると、現今実際の武者と言われるのはいないね。 |